場所:岡山市内
債権者:大手系 サービサー 某信用金庫 大手系サラリーローン 信用保証協会 市中貸金業者(こわい) 市役所
今まで数々の任意売却を手掛けてきました。その 中でもこれほど困難を伴った事案は類を見ません。あとで10円ハゲができました。
上記の債権者を見ていただけたら分かると思いますが、この世の金貸しのオンパレード。
奥さんからご相談いただいたこの件は、離婚した主人との共有家屋。しかも主人とはかれこれ5年以上連絡を取れていないとのこと。
主人の実家を教えてもらい訪問するも不在。とにかく連絡が欲しいとお願いして辞去した。
その後この案件については諦めていたというよりほぼ忘れていた。
所有者と会えないことには任意売却にはならな い。
あれは年の暮れの寒い日、見知らぬ番号が私の携帯電話のディスプレイに表示された。
誰かな?
「Aと申しますが。」
「はぁ?どちらの?」
「○○町のAです。何か任意売却がうんぬんということで電話をしたのですが。」
「思いだした!〇〇町のAさんですね?」
「そうです。」
「実家から聞きました。どういうことなのか事情が分からないので教えてください。」
「一度お会いしてご説明させてもらえません か?」
「分かりました。12月31日に○○という場所でどうですか?」
「○○?公園?・・・12月31日?」
「分かりました。では。」
今年は大晦日まで仕事かあ。生まれて初めて。
ともあれ、その日はきた。今思い出しても本当に寒い日だった。
家族との年末恒例の買い出し中に、家族と一緒に待ち合わせ場所に向かった。
Aさんは既に来ていた。というよりそこに住んでいた。
Aさんから今までのことを全て教えてもらった。
だまされて無理やり保証人にさせられ、すぐにその会社が潰れ、直後に債権者が家に押し寄せて来たこと。
知らないうちに手形に裏書をさせられていたこと。
返済のために金貸しからお金を借りて返せなくなり、たこ部屋に入れられていたこと。
勤め先にそのスジの人達が来て脅されたこと。
手形の裏書をするときに銀行員が絶対大丈夫と 言ったこと。
数え上げればきりがないが彼は辛酸をなめた。
住む家はない。もちろん車もない。自転車はある。
「Aさん、苦労されましたね。勇気はまだありますか?」
「あまりないけど、昼に道を歩くのが怖い。金貸しに見つかったらヤバイ。」
途中で妻が心配して声をかけに来た。「ああ、大丈夫!!」と伝える。
「Aさん、ずっと逃げることはできません。海外に行くならまだしも。昼に道が歩けるようにしましょう。法律がAさんを守ってくれます。日本は良い国です。全て私に任せてください。新しい人生をスタート させましょう。」
「本当ですか?今日会ったばかりで戸惑っていま す。誰も信用できないんです。」
「分かりました。よく考えてまた電話ください。 必ずくださいよ。それでは。」
年が変わり初出の日、Aさんが電話をくれた。
「よく分かりませんがというより考えてもよく分かりませんが、全てをお任せします。心配なのはお願いしてお金がかかるのではないかということです。ご存知のように私にはお金がありません。だから・・・」
途中で話をさえぎり、
「Aさんからもらうお金は1円もありません。心配なら1円も貰わないという書類を作りますが。」
「あぁ、失礼なことを申し上げました。それでは 全てお任せします。よろしくお願いします。」
この日から数えて約2ヵ月、右の側頭部に10円 ハゲができる。ストレス物語が始まった。
まず第一に債権者の数。多すぎる。一件づつ電話をし、面談の日時を決める。
事前にAさんに電話を入れてもらう。
各債権者とも驚いている様子。今まで行方不明だった人から突然連絡があるのだから。
債権者交渉の中身は省く。10円ハゲができたくらいだから本当に腹が立つこともあったし、市中の金貸しは怖いし。
途中諦めかけたこともあった。くそったれとも 思った。でも結果から言うと成功した。
どっと疲れた。温泉に行かざるを得なくなった。
有り得ないこと → 有り難い → ありがとう
という言葉へ派生したらしい。
先祖の御加護よなぁと、じいちゃん、ばあちゃん、両親のことを思い出した。
本当にありがたい、感謝します。
今はAさん、得意なことを活かして働いています。変わりました。人間って短期間で顔が変わることに(すごくよい顔になりました)驚きながら、微力ながらAさんの仕事の後押しをしています。
Aさんがこれから成功することが楽しみです。この歳になって親しい友人が一人増えました。嬉しいことです。